no day, but today

宵越しの金は持たねえ

頬濡らす雨は止んだか(短歌)

頬濡らす雨は止んだか 白服は君の花道照らすレフ板

 

美弥るりかさんご卒業おめでとうございます。

カニュの映像でムラのサヨナラショーや挨拶を見て、東宝楽の入りの様子も知ってたのになんか実感がわかなくて、ライビュ前に日比谷に寄ったときに白い服の人がたくさんいてようやっと「今日退団するんだなぁ」って視覚的にすとんと落ちてきてちょっとびっくりした。

 

 

ライビュで初観劇だったんだけど、ほんとに藤井先生のレビューの「オーダーメイド感」はすごい。どこの組でも今この瞬間の組子でしかできないんじゃないかってものを作るのが本当にうまいなと思う。

『一蓮托生』なんか、あの空気出せるトップと2番手が出てくるのあと20年くらい難しくない?

先生の萌えも直接ぶつけてくるからその後すぐ可愛いアイドルコーナーでほんとに情緒が不安定になりすぎるよね。とっても可愛かったしブルーレイ買って自宅でコーレスしたくなっちゃうけど。

黒燕尾はノーマルなやつとターバンでみんなと合流するのと両方見られるのが嬉しかった。

退団しても何かの機会で男役を見られるかもしれないけど(たとえばクリエのあれこれとか)黒燕尾の群舞は絶対に見られない、これが最後なんだなぁと思ったら、変形燕尾だけど群舞やってもらえて良かったって心から思った。

あとさんざん星組の黒燕尾見たあとだったから同じ黒燕尾の群舞って型でもこんなに違うんだってびっくりした。

どっちがいいとかそういうことでなくて、エネルギーの形とか向きがやっぱり組ごとに違うんだなって。

エストレージャスの群舞は真ん中に向かって渦ができているように見えたけど、なんか月組はまあるかった。まあるいかたまりだなって思った。

 

最後のカーテンコールで珠城さんが美弥さんをひっぱって出てきてからの二人のやりとりがすごく良くて、組の事情とかそういうのは全く知らないけど、二人はこの二年間本当に一蓮托生だったんだろうなって見えたし、最後の最後でこの姿が見られて良かった。

漫才コンビって言ってたけど、ボケとボケしかいなかったよね…?

打ち上げるウィンク(短歌)

打ち上げるウィンクひとつ星屑の散弾銃のように射抜いて

 

星組大劇場公演「霧深きエルベのほとり/エストレージャス-星たち-」千秋楽おめでとうございます!

東京公演が待ち遠しくて仕方ないです。

 

サンファン/アメキラやタカスペからオペラ定点するようになって、天寿さんがあっちこっちにファンサされてるのを見るのがすごく楽しくて、すごく心臓に悪い(笑)。

直近でどないなっとんねんって思ったのはタカスペ2018で、なんの曲か忘れたけど男役4~5人で歌ってて最後にターン決めるところで着地した瞬間バチーンってウィンク飛ばしててそれがライビュ会場の銀幕にでかでか映し出されてぽかーんとなってしまった。

生まれた瞬間から星男で純粋培養されるとああいうことが出来るようになるんですかね。

台湾公演のアメキラも、Wonder rougeの「眠る世界へ投げキッス」のとこ勢いありすぎてもはや投げキスというより砲丸投げ

ウィンクもおまけについててテンジュミツキ特盛セットって感じでありがたい(笑)

曲終わりに手をつけずに投げキスするとこが色っぽくて素敵なので、各人見てください。

 

エストレージャスはひとつひとつの場面がけっこう物語性があるからそこではあんまりファンサしないのもすごく信頼できる。

場面を構成する部品のひとつとしてどう動くと全体が引き立つか見てるんだろうなぁって思う。

キラル・アメキラは「紅ゆずる率いる星組の男役」の役っていうか、星男・天寿光希を演じてステージに立っていて、だから弾けてぶっ飛んでてちょっとうるさめなんだけど、エストレージャスはシーンごとの世界観に溶け込むのがメインだから静かに美しく色っぽいので、オペラ定点してると心臓がはくはくしてきて不整脈が出てきてヤバイ。

スターさんて客席見てるとき「あなたを見てますよー」って顔をするのがうまいけど、天寿さんはそれたぶんひとブロック全員分まとめてできてて、面で抜くっていうのかな、彼女を中心にして左右4列分くらい最前列から立ち見まで全員「わたしのことみてる!」ってなる視線の配りかたをしていて、伊達に14年間タカラジェンヌやってないなと感心してしまった。

フィナーレのパレードはお辞儀したあと毎回パチーンってウィンクを2階に飛ばしてくれててめっちゃ可愛いくて、それが1階席にも広範囲でおこぼれあずかっててなんかガンダムでいうとキュベレイみたいなイメージだなと思ってる(笑)。天寿さん背中にファンネルしょってるでしょ。

そのウィンクを最後まで見ようとするとオペラ持ちっぱなしだから拍手できなくてでも拍手しないなんてあり得ないから結局オペラおろすことになってめっちゃジレンマ。

歴戦のヅカオタの皆様はどうやって推しをオペラ定点しながら拍手してるの?腕が2本余計に生えてるの?

私はまだ未熟者で腕が2本しかないのでカブキグラスの導入を本気で考えています。

銀の橋渡りきるなよ(短歌)

高校・大学生くらいまで私は短歌の人だったんですが就職した途端まったく歌を作れなくなってしまってそこから何にも出来ずにいたんだけど、なんか最近宝塚が楽しくて楽しくて気づいたら短歌が出来ていたのでたまに色々書きたいなと。

短歌の下の長文は単純にテーマにした人のこととか。

 

銀の橋渡りきるなよ君の負う背中の羽根を見ていないから

 

89期の麗しきおふたりに。

1月の19・20日星組を見に遠征したときに到着がちょうど入待ちの時間と被ったのでうろうろしていたんですが、花の道の手前ワンブロックにずらーっと人が並んでいてびっくりしました。

軽く数えて200人くらいいるのではないかと思うほど。

どなたがいらっしゃるんだろうと思ってまじまじ眺めているとすらっとした男役さんがファンからお手紙を受け取ってるのが見えて、あっ美弥さんだ!とわかりました。

こんなに人が並んでいるのにひとりひとり丁寧にお手紙を受け取っていて、その姿が指先までしなやかで美しくて、ファンの方々もすごく幸せそうな顔をしていて、朝日の射し込む花の道がとても神聖な場所に見えて。

朝からなんかいいもの見たな、と充足感がすごかったのを覚えています。

 

その日は運よく上手端の6列目で観劇だったんですが、エストレージャスの第2場で七海さんの歌う「星に願いを」、サビ前で銀橋を渡る彼女がすごく愛しいものを見る目で客席を2階席まで見つめていて、毎回こんな光景を噛み締めながら歌っているのかと思うともうそれだけで切なくて、どうか最後の1日まで彼女のタカラヅカが幸せでありますようにと願わずにいられません。

宝塚のことがどんどん好きになればなるほど素敵だと思うジェンヌさんとの別れが増えるのでいつも寂しいけど、辞められる前に魅力に気づけて良かったなぁと最近は思います。

 

レビューに邦楽多めなの私は楽しいんですが、日常と近くて街中で耳にする機会が多いから心が宝塚に行ってしまってつらい(笑)

毎日会社の有線でチャンピオーネとPOP STARが流れてて、つい神妙な顔になってしまう…。

推しが娘役のおっぱいを揉みしだいている(『ドクトル・ジバゴ』感想)

※この記事は2018年秋頃に書き始めて2019年1月に書き終わったものです。

 

推しが女優さんのおっぱいを揉みしだいているのを見たことがありますか。

舞台の上で、銀幕で、ブラウン管の中でそれはしばしば行われることです。

揉まれている側は「体当たりの演技」などと評されることもまああることです。

でもまさかタカラヅカでそんなことが…?しかも天寿光希さんが…?娘役の胸を?揉んで…?

いやそもそもすみれコードは大丈夫なのか。

娘役さんが食べ物を口に運ぶのはNGなのに男役に胸を揉まれるのはOKなのか。宝塚の倫理観が行方不明すぎる。と思っていたら気づいたら手元にジバゴのDVDがあったので見ました。

 

件のコマロフスキー、出てきた瞬間の胡散臭さがもう凄まじい。一声発しただけでこいつ下衆な男だ!ってわかる。

アマリヤ、ラーラ母娘どちらにも下心があるんだけど二人に対するスケベ心(笑)の種類が違うこともわかる。

アマリヤは既に手に入れてるからそれを反芻しているみたいなスケベさ。

「君もいないのに?」の飼い慣らした猫を片手で可愛がるみたいな台詞が秀逸で、ふたりの関係性がきっちり想像できる。

ラーラはこれからどう料理しようか頭の中でめちゃくちゃ妄想しててラーラの反応ひとつひとつをベッドの中に置き換えてるみたいな下心が出てる台詞回しだった。

そもそもラーラを呼ぶときの最初の音が完璧すぎる。ラーラはЛから始まるからLの発音。それがねちっこく嫌らしく伸び、舌先で名前すら弄んでいる。完璧。

ラーラににじりより耳を舐めるかってくらい(たぶんコマロフスキーの妄想の中では耳攻めしてる…!)の距離で囁き身体に手を回し胸を揉んでコマロフスキーの目が口が身体の全てがラーラとのセックスを想像しているのがわかる。

推しが娘役の胸を揉むなんてもんじゃなかった…。推しが「今すぐこの女とセックスしてやる」って男の顔をしていた…。

 

私は宝塚の男役の魅力って、どんなに色っぽくオラオラしていても女性にとって身体的に脅威ではないところだと思ってた。

男性の身体をどうしても恐ろしく感じる瞬間があるんだけど、男役は女性であり男性の肉体を持っていないというだけで私にとっては絶対的な安心感があり、こころゆくまでうっとりとできたのだ。

そのはずなのに、天寿光希さんも女性の身体を持っているはずなのに、このシーンの恐ろしさは男性と対峙したときのそれだった。

「宝塚の男役」という前提を飛び越えてコマロフスキーを生きる天寿さんの演技を見て、この人がどんな役を演じていくのかずっと見ていたいと思った。

 

ナウオンで天寿さんはコマロフスキーのことを「悪い男だ」と言われたときにきっぱり否定していたのだけれどその通りで(というかその通りに見える演技プランで)、悪い生き方を楽しんでいる、悪く生きようとしている人ではないのだと思う。

ひたすら自分の生きやすいように生きたいだけで、そのために時代を読み、道を切り開く才覚に長けていただけ。

それが時代や他人から見れば悪人に写るのもじゅうじゅう承知だけれど知ったことではないし、正直な人なのだろう。

ただ、自分の欲望に正直に生きてきたからそれを叶える方法がわかるし手は打てるのだけれど、きっと自分の心をわかっているわけではないように見えた。

コマロフスキーは二度ラーラを逃そうとやってくるけれど、一度目はまだ下心があるしラーラを手に入れようとする欲で動いているようだけど、「私の言うことが何故わからん」と激昂する後ろに「お前を愛しているのに、救いたいのになぜわからないんだ!」という声が聞こえるような気がしてぞくぞくした。

コマロフスキー自身の自覚がないまま深層から漏れたような台詞だと思う。

ワルイキノへやってきたときは完全にラーラを救い出したい一心で動いていて、「だが時間がないんだ」に繋がる一連の台詞はすべて真実なのだと声の発し方からしてわかるのでユーリも共犯を買って出る。

ラーラがユーリと最後に抱擁するところは、コマロフスキーが促した左腕が宙ぶらりんのまま浮いていて、彼女に対する欲望や執着ははもうここに浮いたままになっていて、この先のコマロフスキーの人生は芝居では描かれないけど、貧しくはないけれど寂しいものだったのではないかなと思った。

ユーリはラーラを失ってしまった喪失感の捌け口を詩に求めることができたけど、コマロフスキーは何に求められたんだろう。

ラーラの姿は隣にあっても心は手に入らないし、ウラジオストクに着けばその姿さえも失ってしまった。

愛を手に入れられなかったコマロフスキーの姿を思うと天寿さんの言う「彼は悪人ではない」という認識がしっくりきて、その演技プランをきっちり客に伝えてくる力が本当に素晴らしい。

 

推しが女の子のおっぱいを揉むところを見たかっただけなのに圧倒的演技力に殴られて最高に幸せだった!

一幕は何度見ても怖くてはくはくしちゃうけど!でも好きな演目です。